So-net無料ブログ作成
貧しくても心豊かに暮らす法 ブログトップ

坂村真民の詩(心の薬箱)① ----元気や希望を無くしたら読んでください。 [貧しくても心豊かに暮らす法]

坂村真民の詩(心の薬箱) ----元気や希望を無くしたら読んでください。
130109-詩集「念ずればはなひらく」より

私の家の前に住む人が、坂村真民の大ファンで最近本を私にくれました。
何か心に残る詩がたくさんあるが、その一部を紹介しておきます。
元気や希望を無くしてイヤになっちゃたときに元気になる薬箱みたいなものです。


あるひとに

生まれてこなければよかったと
思われることもありましょうが
どうか思いなおして
人間として生まれたことを感謝し
なんでもいいから
自分でできることをして
生きてください
十七文字の俳句を
作るのもいいです
いっしょうけんめい考えたら
神からの授かりものが
何かあるはずです
信仰と希望と愛
そんなことを
じっと考えてください
光が射してきます
力が生まれてきます
暗かったこころのカーテンを
明るいカーテンにして
あなたの心に
灯りをともしてください




あの時のこと

あの時のことを
お互い忘れまい
ふたりが
固く誓いあった時のことを
ふかく喜びあった時のことを

思いあがった時は
いつも思い出そう
初めて母となった
あの嬉し涙を
お互い
古くなってゆく袋に
新しいものを入れなおそう

おのれを失った時は
いつも語り合おう
慰めあい
苦しみあい
二人で過ごしてきた
数々の日のことを

日本人の幸福力の極意「金や出世ならぬ人生に一心な江戸っ子の贅沢」(江戸っ子のたしなみ)藤原千恵子を読んで [貧しくても心豊かに暮らす法]

日本人の幸福力の極意「金や出世ならぬ人生に一心な江戸っ子の贅沢」(江戸っ子のたしなみ)藤原千恵子を読んで

低成長経済(マイナス成長)で閉塞感の強い今の社会及び、もっと厳しくなるであろう未来社会において、成長しなくても心安らかに楽しく暮らす知恵があれば、人生としては豊かである形をいろいろ探しているが、江戸時代のモデルは、仏教におけるお釈迦様の知恵とともに、その解決案のひとつかもしれない。

ここでは、日本人の幸福力の極意「金や出世ならぬ人生に一心な江戸っ子の贅沢」(江戸っ子のたしなみ)という藤原千恵子さんの論文を紹介しながらいろいろ考えて行きたい。

江戸っ子の幸福力
江戸時代の絵の中に
天気がよし
夢でもよし
いつでもよし
なんでもかでもずっとよしよし
という記述がある。
17世紀から270年間平和を維持した江戸時代は世界的にも奇跡に近いといわれている。
その奇跡の平和を支えたのは、競争までして出世したくない、戦ってまでモノを持ちたくない、
なんでもよしよしの江戸庶民で、自然のままにあることを核にした江戸文化の象徴であった。
長い平和の中で江戸っ子はゆっくり幸福力を熟成して行った。

お天とう様しかみない、何事も腹八分目気張らないがんばらない生き方は軽さが身上、住所はころころ変わり、名前も変わる。
人生どう生きるかなんて事は悩まない。

悩むのは今日一日をどうやって大事に楽しく生きるかっていうことで、彼らは、頭で考えてではなく心で生きていた。

そうした江戸時代の軽やかな生き方を切り捨てて西洋文明社会を目指して邁進して果てに得たものは何だったでしょうか。
確かにモノは豊かになったかもしれないが、家庭は壊れ、希薄な人間関係、競争に疲れ果ててうつになった人々、決して心豊かになったとはいえないのが現状であろう。
文明の進歩の割には幸福には見えない。
江戸時代日本を訪れた外国人は江戸庶民はみんな礼儀正しく、楽しそうに見えたと語っている。

競争する代わりに知らない人でもにこやかに挨拶し、外部に対する用心より自省し、片寄せあって親和と安息の暮らしをしていた。

彼らはある意味で人生の達人であった。人生を丸ごと肯定し「なんでもよしよし」は何でもいいとは違っていた。
「三度のたく米さえこわし軟らかしおもふままにはならぬ世の中」

現代人はむやみにがんばるが、江戸っ子はがんばらなかった。
彼らは偉くても忙しい人はお気のどくさまと見ていた。
どうかして出世するような災難にゃあいたくないと金にならぬことを一心にやった江戸庶民の贅沢な幸福力はすごい。

所詮、人間の至福への道は江戸も現代も同じだ。
人間すべて出来事は因縁としてよき縁として受け入れ自然のままに生きれれば、鬱になることもなかろう。
無理して生きているからくたくたに疲れて、鬱にもなるのだ。
もっと、こだわりを捨てて自然のままに生きるようにしたいものです。

つづく

「けちのすすめ」仏教が教える少欲知足(ひろさちや)を読んで [貧しくても心豊かに暮らす法]

「けちのすすめ」仏教が教える少欲知足(ひろさちや)を読んで朝日新聞出版

このブログ(ミャンマー紀行)のなかでも仏教が貧しくても心豊かに暮らせるための有効な手段になるのではないかと、記載したが、たまたま「けちのすすめ」仏教が教える少欲知足(ひろさちや)を読んで、私が明確には認識できていなかった事柄をわかりやすく、書かれているのに驚いたのと、内容に共感するところが多かったので、内容の要旨にコメントをつけながら紹介したいと思います。

「まえがき」より
資本主義経済はゴム風船のようなもので、経済発展の上に成り立っているので、どんどん経済成長しなければならない。経済成長がストップするとその社会はしぼんで壊れてしまう。
ゴム風船は膨らませ続けると、いつかはパンクする。
地球の資源も無限ではなく、エネルギー資源も枯渇し、環境も破壊されます。

日本とアメリカの資本主義経済というゴム風船はもう破裂してしまったのです。 もう、再び膨らませることはできない。 高度経済成長をもう一度という政治家のたわごとは実現しないのです。

経済が破綻すれば仕事が減って、失業者が増えるでしょうが、
たとえ仕事が半分になっても、給与を半分にしてこれまでの人数で働く
勤務時間が半分になってみんな早く家に帰って、一家団欒を楽しめるのです。

給与が半分になれば贅沢はできなくなります。
パチンコはやめればいいし、マイカーもやめて、バスや歩けば健康にもなるし、都会の空気もきれいになる。

タバコはすわなければ健康にもなる。ゴルフなんかやめればいい。
お酒は飲み屋でなくみんな家で飲めば安いし、カミサンも安心する。

終戦直後の日本はそんなものだったけど、みんなの顔は明るかった。
「狭いながらも楽しい我が家」と歌にも歌われていた。

政治家を当てにしないで、私たちの生き方を考えていきましょう。 ここ50年日本人は物質的な豊かさを目指してあくせく働き、過労死したり、うつになったり、いらいらしながら、がつがつと生きてきました。 もうみんなくたくたになっています。 けちをモットーにすると心の平安が得られます。 ゆったりとのんびりと生きていきましょう。

内容はこれからですが、次回に続きます。


貧しくても心豊かに暮らす法 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。